2017年 12月 08日
批判を受けないことが全てに優先するとは。 |
ある作業を行うための集まりの最初に、会合の趣旨の説明を兼ねて、活動の中心的な教授に基調講演をお願いしようと提案した。
そしたらね、
「この先生だけに講演お願いするのは不公平」
って言う人がかなりいたの。
えー。すごい大御所の先生だし、始めから別格だったって聞いてる。
じゃ誰がやるの?
不公平って言うようなひとは来なくていい。
もう呼んでしまったなら、目的と背景を説明しておけば?
でも通じなかった。私の言うのは理想だと。
理想は叶わないと。
えーー!!
参加者は、全員素晴らしい。
でも全員に講演は頼めない。
一部に頼むくらいなら
講演をやめると。
えー、やめるの?
公平にならないから?
講演の目的は?集まった人たちに集まりの目的、作業の目的を理解してもらうためにまず大きな構想を専門家から話さないの?
誰なら専門家としてふさわしいか、決められないからやめるんだってさ。
それで集まりの目的が果たせるならいい。
しゃあ頼まずに、内部の人間が説明すればいい。
でもそれも嫌だと言う。
で、講演なしで、始めるんだってさ。
やり方の説明だけやる。
えー!?
いきなりやり方の説明だけでみんなの頭の中、整理できる?
何のためにやるか分かるの?
単なる手順と言うより、本質の理解があってこそ、参加しやすくなり、結果的に会合が成功するのだと思うのだが、全く伝わらない。
話がコロコロ変わる。
理屈がないことを場当たりに言っているだけ。
それでもいいけど、その方が批判されないの?
優先する事項がさっぱり分からない。
つまり、見えやすい周りからの批判を避けることで、生き残っている人たちがいるということだ。耳障りの良いことだけを選んで満足している人たち。
彼らは仕事はやりたくない。批判なんてめっそうもない。何かやれば批判される。だからなるべくやらない。批判を避けるために最も良いのはやらないことだ。
なるべく批判がでないように、ちょっとでも不安なことは取りやめる。で、その場を乗り切る。批判がでたら誰かのせいにする。仕方なくリードを引きうけた人は二度とやるもんかと決意する。だいたいは辞める。結果、反省は引き継がれない。また新しい人間がターゲットにされ傷ついて辞めていく。これが社会的イジメの構造なのかもしれない。
成果を得るための活動より批判されないことに注力する作業方針で生き残っていけるのか、私にはわからない。
今までは良くてもこれからは無理だ。消えていく組織、消えていく人たちなのだ。
私の主張が通じないところで自分を保つのは本当につらい。議論にならないのも辛い。根拠に乏しい主張を平然と繰り返す人たち。全く理屈になっていないことを口走り、次の話では立場も内容も変わって言うことも変える人たち。都合よく忘れて都合よく喋る。ポジティブモンスターの集まりなのだ。側から見れば迷惑な、でも生きていくためには好ましい能力を持つ、不思議な集団。かなり異質な場に遭遇して戸惑うばかりだった。
私だって批判されるのは嫌だが、まともでない人に批判されても困らない。自分がやるべきと思ったことをやりきるだけだ。
by yanosachiko
| 2017-12-08 22:06
| 仕事
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